河田耕一さんのJAMクリニック
先日の記事で、中尾豊さんがTMSに書かれた論文「鉄道模型における造形的考察の一断面」 の要旨を 河田さんがクリニックで解説されたも内容のうち一部を引用させていただきました。リクエストもありましたので、河田さんが中尾論文の要旨として提示された7項目すべてを下に引用します。(文はスライド原文のままです)
モデルは実物の鉄道の再現的なものだが、表現する美は実物から受ける感動そのものではない
感情と観察が創作の中心であり、鉄道がいかに影響を与えようとも造形表現の対象にすぎない
実感とは単に実物らしく見える、ということではない。 実物に対して抱いていく感動、記憶、連想の上に、モデルに接した際に起こる美的な感動である
縮尺は便利なものではあるが、立体表現の上で絶対出来なものではない
工作技術は必要だが過剰であってはならない。美的感受性とそれを実現する表現能力が重要である
実物に対する知識は絶対条件ではなく、造形表現にどう寄与するかを習得するためである
運転性は表現活動の一部であり、造形価値に等しい性能が求められる
2019/8/18 JAMクリニック 河田耕一「中尾豊とその時代」 の講演スライドより引用
先日のコメントでdda40xさんにご指摘いただいた、運転性についても中尾さんは言及しておられました。
☆8/26追記
この中尾豊さん論文の「鉄道模型における造形的考察の一断面」は、鉄道模型趣味昭和26年新年号No22に掲載されていますが、1971年(昭和46年)4月号No274 の291-293頁に再掲載されていることが判明しました。さすがに昭和26年新年号 は私も持っていませんが、274号は持っていましたので再読してみました。といってももう48年前に刊行された雑誌です。
またこの当時はページ数は各号単独ではなく、年間通し頁だったのですね。インデックスから記事探す場合は、この方が便利でした。
Comments
六番目の「実物に対する知識は絶対条件ではなく、造形表現にどう寄与するかを習得するためである」というのは解釈?が微妙ですね。
車番による違いややリベットの数などではなくその部位がなぜそんな形をしているのかという機構的な実物知識は、表現段階で極端な前衛的?なデフォルメをするに当たってもほぼ絶対条件のような気もしますし、そういうことも含めてこのような言い方になったのかなと思います。
「運転性は表現活動の一部」というのも、美術工芸品としてのからくり人形や西洋のオートマトン、人形劇、影絵芝居の人形などと同じと言いたかったのかなとも思いますが、中尾論文?はどうも「模型」や「(動く)ミニチュア工芸品」全般についての事を言っているのであって、鉄道というモチーフはその一部という感じのような気がします。
Posted by: skt | August 25, 2019 09:52 AM
そのTMS274号の3号くらいあとの号に山崎氏が、述べているのは、その記事に対する反響が予想通り少なかったということです。予想通りというところが興味深いところです。
おそらく今でも大半の人は興味ないだろうと感じています。
自分で物を作る人が減っているので、そういうことを考えるチャンスすらなくなってきたように思います。
Posted by: dda40x | September 04, 2019 10:41 PM
実際手を動かしておられるモデラーでも、キット加工をしている方が多く、自分で設計からされている方はほんの一握りなので、中尾さんがいわれているようなことは考えなくても模型はできますからね。
また反響が少なかったのは、原文がわかりやすくは書かれていないということもあると思います。河田さんもあの当時は難しく文章を書くのが流行していた、わざと難しく書かないと評価されなかった といわれていました。
Posted by: ゆうえん・こうじ | September 05, 2019 10:36 AM