中欧型蒸機の魅力
オーストリア=ハンガリー帝国で生産された機関車は、主に帝国の領土とその植民地向けに輸出されたため、日本にはほとんど輸入されず馴染みがありません。クラウス社がリンツに工場を持っていたため、クラウスの機関車でリンツ工場で製作されて日本に輸入されたものはあるようですが、それはドイツ製という認識で、オーストリア製とは思われていません。
オーストリアは、600年にわたるハプスブルグ家の統治で 皇帝フランツ・ヨゼーフが近代化を進めたため、19世紀末には芸術ではクリムト、医学ではフロイトなどが活躍する世界の文化の中心でもありましたが、科学・工学分野でも世界の最先端を走っており、1873年に万国博も開催されています。
首都ウィーンと帝国の各地を結ぶ鉄道網が整備され、その輸送力を確保するのために多くの機関車が製造され、ゲルスドルフなどの優秀な技術者も輩出し、高性能な機関車が数多く生まれています。
第一世界大戦後、ハプスブルグ帝国は崩壊し、小国オーストリアの首都になってしまうと工業力も低下してしまったようです。隣国ドイツのように輸出産業としての機関車工業も発展はしなかったようですし、ナチス政権によりドイツに併合されてユダヤ人が迫害されると、科学技術の担い手の少なくない人々は逃散してしまったようです。第二次大戦後は旧ハプスブルグ領の大半は、鉄のカーテンの向こう側にいってしまい、物流の要衝の地位も失ってしまいました。
日本では、東欧が旧ソ連の衛星国、社会主義国時代であった時代に製造された機関車とあわせて、東欧型と十把一絡げにして扱われることが多いようですが、第二次世界大戦までにウィーンやブダペストなどで製造された機関車は中欧型蒸機として扱うべきだと私は思います。
また当時は帝国にあったハンガリー・ブタペストのガンツ社は、大阪(関西)鉄道にガンツ式の蒸気動車を輸出しています。
日本に馴染みがないので、評価されていませんが、中欧形蒸機は性能も造形も一級品であり精緻な機械美を持っていたと思っています。
☆10/21追記
クラウスのリンツ工場で製造されて日本向けに輸出された機関車はないようです。リンツ工場は、ドイツからオーストリアに輸出する際の関税対策として、オーストリア・ハンガリーなどのオーストリア帝国向けの機関車を製造する工場だったようです。


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