実物誌を買わない・読まない鉄道模型ファン

 今回TMS11月に載せていただいてた西大寺風ミキストの記事は、私からもお願いして、実物の写真(イマジネーションフォト?)を編集部で盛ってもらいました。
 そういう記事のスタイルの方が、製作意欲をかきたてられてよい、ガチガチの模型製作技法記事より楽しく読めててよいというご感想も多数いただきました。
 その一方で実物誌を買わない模型ファンにはよいが、実物誌にも買っている模型ファンはああいう実物写真は重複する(自分はその写真が掲載されている本を所蔵している)ので、それを掲載するスペースがあれば模型製作の内容をもう少し詳しく書くべきだをいうご意見もいただきました。
 また細部写真などと違って模型製作に直接役立たない実物誌には既に掲載されている写真は模型誌には無用というご意見があったので、実物誌を読まない鉄道模型ファンがどのくらいいるか知りたかったので、ツィッターの投票機能を使ってアンケートをとってみました。
 ツイッターの投票なので、母集団にバイアスはかかっているかもしれません。またツイッターの投票機能の制約で選択肢が最大4つなので、すべての意見を汲み上げているわけではないことおおことわりしておきます。
 毎月一誌でも模型誌・実物誌を定期購入していれば、購入いていることにしました。

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 一番多いのは模型誌も実物誌も不定期に買っているというグループです。どちらも買わないという選択肢はないので、その方が多いかもしれません。模型誌を定期的に買っている人は全体の1/4で、実物誌も定期的買っている人はその1/4のようです。ということは模型誌は毎月買っていても、実物誌を定期的には買わない・読まない模型ファンは、4人中3人と意外に多いということになります。


 今回は工作技法は概略と一部の重点のみ記載して、詳細は記事末のネットのリンクからネットでみてくださいというスタイルにしたのですが、これについてはやはり記事内で詳細に工作技法が読めるようにして欲しかったというご意見もおおかったです。ただそうすると限られた月刊誌の紙数のなかでは、書ける内容も量的な制約を受けるので十分記載できるともいえず、掲載できる記事数も減ると思うので、なんともいえないと思います。

 またネット上の情報はいつまでも読めるわけではないので、紙媒体で残した方がよいというご意見も多数いただきました。亡くなったモデラーの作品を保存収納する博物館が必要ということは、ずっといわれていますが、モデラーが発信したデジタル情報も保存する場所が必要だと思います。 

 

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フリーランス・モーガル(17)ブレーキシリンダー

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キャブ下がスカスカなので、ブレーキシリンダーをつけることにしました。蒸気ブレーキ用シリンダーなら1/80では直径が3mm強ですが、模型としては細すぎるので、直径4mm長さが5mmとしたら模型としてバランスがよくなりそうです。こういう大きさの適当なパーツがなかったので、自分で旋盤で挽きました。実物からみると中途半端な寸法なのですが、模型としてみると感じがよい大きさです。

この機関車では先輪も実物の大きさにこだわると大きすぎてバランスが悪くなり、小さめにしたらバランスがとれました。フリーランスでは初っ端からプロトタイプの実物寸法無視というのもよくないとは思いますが、実物寸法に拘り過ぎても模型としてのバランスが悪くなりますので、難しいところです。

 



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模型化するということ(続)

KM氏のツイート coolですね
<ディテールアップというか、模型で細部の再現をするのに「実車に近づけていく(基準は実車)」のと「実車を模型に落とし込む(基準は模型)」のどちらに面白さを見出すかで、結果的にやってる事は同じでも方向性は全然ちがうんだよなって最近よく思う。>

 

16番の日本型蒸機では、ごく少数標準軌蒸機以外は、設計の段階から「実車を模型に落とし込む」ことに専念せざるをえないと思います。
最初から「実車に近づけていこう」とすると必ず破綻するように思います。
ところで日本の標準軌蒸機というと、新京阪と神姫電鉄と海軍工廠ぐらいでしょうか

 

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模型化するということ

KM氏のツイート

<分かってて省略するのと、知らずに見落とすのは、同じ結果に見えて全然違うのよな……。知らない人は騙され、知ってる人は失望する。>

これは模型化するときの至言だと思います。

鉄道模型に限らず、実物プロトタイプを模型にするとき、実物のすべてを縮小して盛り込むわけにはいかないので、とくにディティールは取捨選択せざるを得ないわけです。

ただ「パンタグラフなどの集電装置がない電車」は考えられないように、実物の要素でこれがないと実物では成り立たないものはあるわけで、模型にそれがついてないと???となるわけです。とくにそのディテールがプロトタイプの特徴となっている場合は他の部分がいくらよくできていてもぶち壊しになってしまいます。

パンタグラフのない電車でも第三軌条の地下鉄は存在しますが、台車に集電装置がついているのを知って省略するのと 知らずにつけないのでは「この電車の実物 どこから集電してるねん?」となったときに差が出ると思います。

 

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模型としての割り切り構造

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実物の米国型のキャブは、側面からの見かけ上のキャブの床板部分には椅子がのっていて、中央部分は低くなってテンダー床板と同じ高さであり、この部分に機関助手 Firemanが乗って石炭を焼べるようになっています。ところが模型では左右の床板が一体になっていた方が、強度的にも工作上も都合がよいので、キャブの床板は中央でつないで左右一体に作ることはよくあります。今回の8450形もそのように作っていますが、実物では中央の部分はありません。またこの本来のキャブ中央床板部分には機炭間ドローバーの止めねじなどがあることが多いので、むしろダミーの
床板を見かけ上のキャブ床板部分につくって、キャブ後面の開口部だけ切り欠いておいた方が模型としては都合がよいと思います。

また実物ではブレーキロッドが中央1本の機関車も多いです。今回の8450形は実物の構造はよくわからないですが、8000番台のボールドウィン製のテンダー機関車では、かつて鉄道史料40号に掲載された臼井さんのブレーキ装置の解説記事によると中央1本のものが多いので、この機関車もおそらく中央1本だと思います。ただ実物どおりに作ると ギアボックスや動輪押さえ板の止めねじに支障するので 左右2本として作っています。

走り装置を実物どおり作ったのでは、よく走る模型はできないといわますが、材料の板厚や線径だけでなく形態もそのままの構造で縮小して作ればよいというわけではないと思います。走る鉄道模型はソリッドモデルと違って、模型としての強度や工作やメンテナンスのしやすさを考えた構造がよいと私は思います。とはいっても実物の構造を調べないで、適当に作ったのでは、手抜き工事としてしか評価はされないと思います。

 

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模型用語 実物用語

模型だと日本ではサンドドームだが、英語ではSand Box というのが正しいが、前者の方が日本では模型用語として通用しているので、サンドドームと呼んでよいのではないか ということをコンさんがブログに書かれていました。

確かに米国のPrecision Scaleのパーツカタログみると、Sand Boxと書かれています。ただ目次にはDomes(sand)という項目あるので、Sand Domeといういい方もあるのかもしれません。またSand Boxという言葉には、サンドドームだけではなく、動輪のスプラッシャーカバーと一体化した砂箱や 電関などの台車についた砂箱も含まれるようです。

ところで模型でいうロッドピンも 実物ではクランクピンというようですが、イモンの商品検索でみるとKATOとアダチがクランクピンという商品名で、金岡工房がロッドピンという商品名ですね そういえばサンゴもロッドピンという商品名でした。

別に元の英語に忠実である必要もないと思いますが、メーカーによって混用されるのは、わかりにくいですね。

 

 

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究極のディスプレーレイアウト

KNさんが面白いことをブログに書かれていました。

https://karatcreek.blog.ss-blog.jp/2020-04-12

確かに和室で、畳を水田に見立て、折り曲げた座布団を山にみたてて、組立線路で模型を走らせていたのは、究極のディスプレーレイアウトだったかもしれないです。

テレビドラマや映画のようにリアルで精密なシナリーの中で模型を走らせるだけでなく、舞台のような簡素な小道具の中で模型を走らせるのもありだと思うようになりました。

先日還暦を迎えましたが、還暦までにはレイアウト!と思っていましたが、絵に描いた餅に終わってしまいました。トホホです。

 

 

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高岡銅工ニ答フル書

東京北の丸にある国立近代美術館工芸館が、金沢に移転するそうで、3/8までパッション20という展覧会をやっています。先月末上京したときに見に行ってきました。建物自体も煉瓦造りで、旧近衛師団の司令部だそうで一見の価値はあります。

その展示のなかで、銅工芸製品の展示で気になる解説がありました。

バリ在住の著名な美術商・林忠正に「高岡銅工ニ答フル書」と題する手紙がある。1886(明治19) 年3月9日 郷里高岡銅器の名エ・白崎善平に輸出不況の打開策を請われて、高岡のみならず全国の工芸家の幸福を願い、夜を徹してしたためたものだ。当時の日本の工芸界に向けて苦言しながら、図案改良すなわち制作全体を貫くヴィジョンの重要性に触れた林の先見の明を以下に抜粋・要約する。

・精巧かつ手間をかけたものだけがよいと思うのは誤り。装飾過剰は美術からかけ離れる。
・技術は立派でも肝心の構図が的を外している。図案を軽んじて近視眼的に作ろうとするから。部分的に技術の粋を尽くしても それで美しさが増したとは思えない。
・図面を送れというが、作者自身の発想でなければ意味がなく、そこから考えを改めたい。
・こうして述ぺていることが百枚の図に勝ると信じる。

 

これは昨夏のJAMの河田耕一さんの「中尾豊とその時代」のクリニックの中で示された「鉄道模型における造形的考察の一断面」に通じるものがあると思います。

中尾豊さんは、東京美術学校(現在の東京芸大)で学ばれているので、おそらく教育のなかでこれに通じること聞かれたのではないかと想像しています。

 

 

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模型をつくるときどんな図面を描きますか?

皆さんは模型を作るときに図面をどこまで描かれますか?
 ディティールまで詳細に図面に描きこむという方もおられますし、形式図程度の図面しか描かないという方もおられるようです。
 工学系で職業訓練として製図などの基礎教育を受けている人は、図面をみれば完成したときの状態が頭に浮かぶらしいので、「図面の通り作ればできる」ということになるようです。私はそういう教育・訓練を受けていないので、図面を見ても完成した状態が頭に浮かんできません。実際に作ってみなければわからないので、図面をいくらきっちり描いても、模型製作が目的なら時間の浪費のような気がしています。学生のときスケッチの教育は受けたし、仕事上スケッチすることが少なくはないので、備忘録として絵やフリーハンドの図を描くことはありますが、すべてを図面として描くことはありません。
 機芸社の特集シリーズ「蒸機を作る」に平野和幸さんと久保田富弘さんの対談記事が載っています。久保田さんは「形式図程度の図面は描くが、ドームや煙突などは削りながら形をみていく」といわれているのに対し、平野さんは「ドームのRやパイピングの曲がりまで図面に描いてそのとおりに作る」といわれています。久保田さんはプロの写真家だったので、写真をみればそれが形として模型の三次元イメージにつながったのだと思います。やはり図面を描いてイメージをつくる機械屋の平野さんとは模型製作へのアプローチが違うのだと思いました。とはいっても久保田さんも走行性能のために精度が必要な下回りはきっちり図面を描くといわれています。
 自分はどちらかというと久保田派で、最近は金田茂裕さんや近藤一郎さんの形式図と片野正巳さんのスケールイラストをパソコン上で切り貼りして形式図程度の図面を作って、それを印刷してメモを書き込みながら作っていくことが多いです。みなさんはいかがでしょうか?

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河田耕一さんのJAMクリニック

先日の記事で、中尾豊さんがTMSに書かれた論文「鉄道模型における造形的考察の一断面」 の要旨を 河田さんがクリニックで解説されたも内容のうち一部を引用させていただきました。リクエストもありましたので、河田さんが中尾論文の要旨として提示された7項目すべてを下に引用します。(文はスライド原文のままです)

 

モデルは実物の鉄道の再現的なものだが、表現する美は実物から受ける感動そのものではない

感情と観察が創作の中心であり、鉄道がいかに影響を与えようとも造形表現の対象にすぎない


実感とは単に実物らしく見える、ということではない。 実物に対して抱いていく感動、記憶、連想の上に、モデルに接した際に起こる美的な感動である


縮尺は便利なものではあるが、立体表現の上で絶対出来なものではない


工作技術は必要だが過剰であってはならない。美的感受性とそれを実現する表現能力が重要である


実物に対する知識は絶対条件ではなく、造形表現にどう寄与するかを習得するためである


運転性は表現活動の一部であり、造形価値に等しい性能が求められる

 

2019/8/18 JAMクリニック 河田耕一「中尾豊とその時代」 の講演スライドより引用

 

先日のコメントでdda40xさんにご指摘いただいた、運転性についても中尾さんは言及しておられました。

☆8/26追記

この中尾豊さん論文の「鉄道模型における造形的考察の一断面」は、鉄道模型趣味昭和26年新年号No22に掲載されていますが、1971年(昭和46年)4月号No274 の291-293頁に再掲載されていることが判明しました。さすがに昭和26年新年号 は私も持っていませんが、274号は持っていましたので再読してみました。といってももう48年前に刊行された雑誌です。

またこの当時はページ数は各号単独ではなく、年間通し頁だったのですね。インデックスから記事探す場合は、この方が便利でした。

 

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