蒸機の機関士の格好について(時代を考える)
2年前鉄博で開催された展示会「鉄道と制服」の図録によると、機関士の制服については、官鉄については最初の明治5年の時点では制定がなく、明治22年に機関方(機関士)、火夫(機関助士)の制服が追加で制定されたそうです。これについての画像は掲載されていません。鉄道省になってから 大正9年に詰め襟黒色の制服になり、その後昭和13年に制服は青色のいわゆるナッパ服になったようですが、帽子はそのまま官帽をかぶっていたようです。
他の情報によれば、蒸機の機関士が布製の椀帽をかぶるようになったのは昭和30年台とのことです。
というわけでエコーモデルやKATOの椀帽をかぶった 蒸機用機関士人形は昭和30年台以降のスタイルということになります。
昭和13年から20年台という想定なら、やはり機関士人形には制服はナッパ服でも官帽をかぶらせる必要があるようです。
最近さかつうからタイニーテイルズブランドで発売になった機関士人形は、官帽をかぶって青いナッパ服を着ているのでその時代の機関士のようです。
また他の写真などみると明治22年から大正9年までも大正9年も詰め襟黒色の制服だったようですがよくわかりません。明治39年の鉄道国有化までは、各社ごとに制服が違っていたかもしれないです。
というわけで昭和13年以前でも、官帽をかぶった人形で制服の上下を黒に塗るとそれらしくなるように思います。
明治5年の時点では、機関士や機関助士は制服があったかどうかはっきりせず、当時の写真をみると英国の機関車乗務員と同じような格好のようなので、自作の120形には英国の四大私鉄統合前時代の機関士人形を載せました。
なお戦前は鉄道省の蒸機の機関士は判任官=天皇の官吏であり、機関助士以下は官吏ではなく現業職員という位置づけのようです。駅長は判任官か高等官でしたが、電車運転士や駅長以外の駅員は判任官ではなかったらしいので、蒸気機関車の機関士は機関区長や助役などの管理職以外でも、他の一般職員とは違う身分だったようです。これが戦後 国鉄になってから動労(動力車労働組合)がうまれたひとつのきっかけらしいです。これは余談です。
☆6/1追加
Xで、akiakiyamaさんにコメントで教えていただいたのですが、昨年のJAMクリニック[最後のC62特急「ゆうづる」 大山正さんと松本謙一さんが講師]で機関士の帽子の話しがでています。1:12あたりからですが、制帽=官帽と略帽=椀帽の切替は特に組織として上からの指示はなかったらしいです。
制帽を被った機関士人形がないので、C51やC53では乗せる人形に困ると松謙さんは話されています。そのため今回さかつうさんとコラボでタイニーブランドの制帽を被った機関士人形をだされた?のでしょうか。
また松謙さんは、機関庫の保守スタッフの帽子も、ヨンサントウ(S43.10の大改正)の時期までは、布製の安全帽とヘルメットが混在していたが、それ以降はほぼヘルメットだけになったとお話しされています。
車両模型の時代考証は厳密にされている方も多いですが、 車両に乗せている人形やレイアウトの人形の時代考証は割合 無頓着な方が多いというか、各時代の人形が豊富に発売されているドイツや英国などと違って、和装の人形を探すのも大変な日本では、まだこれからの分野という気がします。


























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